思い出の一枚

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 北海道のアイヌの熊祭りである。注目したいのは参加のアイヌ人の衣装の模様である。「アットゥシ」とよばれる民族衣装である。

 もう一例示そう。同じく、現代のアイヌ人女性の帽子の模様である。
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 次は縄文時代の土偶、土器である。模様を比べると一致することが明らかである。
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 縄文については、稲の縄の目とする説が定説となっているが、私は蛇文と考えている。日本列島への縄文人の渡来のルートとしては以下の三つが挙げられている。
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 「読売新聞」二〇二〇年四月九日夕刊に「台湾からの渡来 実験の全容刊行」という題の記事が掲載された。最近、講談社から刊行された『サピエンス日本上陸 3万年前の大航海』という書の内容紹介であった。この本は二〇一九年七月八・九の両日、国立科学博物館チームが、台湾から琉球列島南端の与那国島への丸木舟渡航を実験して成功した記録である。
 上の写真は同紙が掲載する日本列島へのホモサピエンス渡来のルート図である。
このルートのうち、アイヌ民族は北海道ルートで渡来した縄文人であることに疑問はない。

 もう一つ、私が重視するルートは沖縄ルートである。中国大陸から台湾へ渡り、琉球列島の最南端与那国島へ渡り、島伝えに日本へ渡るルートである。
 私はこのルートの要衝、与那国島南端と中国福建省厦門(あもい)の東海岸の、二か所の岸壁に立って対岸を望んだことがある。いずれの場所からも台湾が見えた。
 航海術の発展していない当時、小舟で大海に乗り出すときに、たとえぼんやりとでも、対岸が望めるかどうかは、全員の死生に関わる重大事である。

 台湾の山地や海岸地帯には中国人以外の先住民が住んでいる。彼らは自分たちこそ台湾本来の居住者であるという自負を篭めて、原住民という呼称を好んで使用している。現在、台湾政府によって原住民は十六種族が認定され、総人口は二〇一〇年の調査で約五十万人に達している。台湾総人口の約二パーセントを占める。そのほとんどすべてが、山中、海岸、島などの僻地に住んでいる。次の図に示す通りである(拙著『親日台湾の根源を探る』)。
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 台湾原住民は、台湾で南から北上してきた人たちと、北から南下した人たちとが混在する複雑な人種構成を持っている。
 この種族のなかで、ルカイ、パイワンなどのように、住居の入口に蛇の造り物をかかげ、明確な蛇に対する信仰を持っている人たちがいる。蛇信仰だけではない。女神信仰、太陽信仰、樹木信仰、稲作、住宅様式、入れ墨などなど、西南・東南アジアに広がる越人(えつじん)、倭人(わじん)と共通の文化を伝えている。越人、倭人はそののち日本にも渡ってきており、日本人と台湾原住民の古代文化は密接につながっていた。

 彼らが伝える神話のなかに日本人が登場してくる。それらの神話に登場する日本人は、ほとんどが、彼らと別れて、北進、東進していった。本土日本へ渡ったのである。

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上の写真1枚目は彼らのうち身分の高い頭目だけが家の前に飾ることを許される蛇模様の壺であり、2枚目、3枚目は今も彼らが造る土製の壺である。

 台湾原住民の神話によって、太陽、蛇、壺の三者の本質がよく分かる。三者のなかでもっとも力のある高貴の存在、万物の生成者は太陽である。蛇と壺は太陽の創作物であった。蛇は太陽の産物で、あらゆる動物のなかでもっとも高位を占めている。そして、壺ももともとは人間の制作物ではなく、超越的な太陽の産物であり、太陽と結合して民族の祖先を産む力を秘めていた。大地母神の母胎であり、卵でもあった。

 このような視点で縄文土器も理解されなければならないのである。縄文が蛇文からの変化であることに何の疑問もないのである。



 日本国家の誕生と永続(16)
  ―伊勢・出雲・三輪三社の神話に探るー
  Ⅹ  日本国永続の理由
  2 天皇制永続論

 なお、スキタイ系の大陸騎馬民族が日本に渡来して征服王朝を形成したという、騎馬民族渡来説で有名な故江上波夫氏に、日本の天皇家の「万世一系思想」の由来を、大陸騎馬民族に求める考えがある。

 本書の叙述を進めるまえに、江上氏の学説を、『騎馬民族国家 改版』(中公新書、一九九一年)から補足として次に紹介し、それに対する私の考えをのべておく。

 大陸騎馬民族国家でも、君主制の継承者は、その国家の男系の子孫にかぎるという大原則があり、その自然な結果として、大陸の騎馬民族国家では、王朝はほとんどすべて一系であり、国家の存続と王朝の存続とが終始しており、中国におけるような禅譲放伐による王朝の交替はないということである。日本皇室のいわゆる万世一系は、まさに大陸騎馬民族国家のそれであって、中国・エジプトなどの農耕民族国家には、このような王朝のあり方はたえて見ない。
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 江上氏の騎馬民族論には、賛否両論がある。
 前著『日本王権神話と中国南方神話』で、私は、騎馬民族論に反対する立場を表明した。その根拠をもう一度整理すると以下のようになる。

1 日本の王権は中国南方の、太陽・女神・稲魂の三位一体の大地の信仰に基礎を置いたもので、中国北方の星辰・男神・雑穀・遊牧などに基づく天の信仰とは異質である。
2 のちに日本の王権は中心に南方原理を据え、外郭を北方原理で固めることによって国家体制を整えていったが、その際にも、中心の南方原理が北方原理に取って替わられることはなかった。
3 騎馬民族はすぐれて北方原理に従っている。その影響は確実に朝鮮半島にまで及んでいたが、日本列島の王権には影響を与えていない。

 天皇論として考えたときに、騎馬民族論は、万世一系思想の由来についての有力説とはいえる。しかし、よりたいせつな視点は、日本の場合、万世一系思想に基づいて、長期間、天皇制が維持されたのに対し、スキタイ系諸民族の場合、万世一系思想にも《かかわらず》、諸王朝は永続せずに交替をくりかえしていた。そこには、中国大陸北方諸民族で王朝は交替したのに、なぜ日本では永続したのかという根本的な問いが依然としてのこる。
          つづく