思い出の一枚
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京都平安神宮の2月3日節分に登場する四つ目の鬼と稚児である。同じ行事は京都の吉田神社でも伝えられている。

京都吉田神社 2月2日の節分 四つ目の鬼と稚児
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日本の芸能には渡来と国風の二種がある。
渡来芸能は中世以前に基本芸態確立していた。
  伎楽  舞楽(雅楽)  散楽  声明(仏教音楽)  追儺  人形芸(文楽を除く)など 
対する国風芸能の主流は内外の先行・並行芸能を摂取し中世以降に誕生した。国風とはいっても、12~13世紀の中国大陸大動乱の影響を受けたものが多い。神楽・東遊などの先行固有・国風芸能も摂取していた。    
  能  狂言  歌舞伎  人形浄瑠璃  舞曲 説経など

宮廷保護の芸能(舞踊)は国風の神楽・東遊と外来の伎楽・舞楽(雅楽)など、両者を併合し中世以前に基本芸態を確立していた。

芸能はなぜ生まれ、維持されたのか。この重要な問題を根本にもどって考えてみよう。

インドの『ヴェーダ法典』に「舞踊を通して神に祈り、それによってあらゆる願望が満たされると共に救世の道を切り開き、人々の繁栄と自己の舞踊の完成のために惜しみなく精進する者は、三界で徳をおさめる」とある。舞踊つまり芸能は神の助けを得て救世の道を実現する方法であった。
中国の『礼記』に「楽は陽により、礼は陰による。陰陽和して万物成る」とある。あらゆる儀礼は楽舞を伴うことによって完成すると考えられていた。宮廷が音楽と舞踊担当の楽官を正式役所として宮廷内に設置したのはその精神に基づく。
日本では、女性巫王と男性俗王で祭政を行なうことが『魏志倭人伝』にある。いわゆるヒメヒコ制である。神の指示に従って政治を行なっていた。
朝鮮の建国神話では、天父神桓因が神木を伝わって地上に降り、地母神熊女と結婚して建国神檀君を生んだ。檀君は古代朝鮮を治め、のちに山の神となった。朝鮮では農耕の始まった紀元前10世紀ごろから、政治の指導者王と宗教の指導者巫堂(ムーダン)は共同で祭儀(クッ)を主宰して集団を導いた。

《芸能は王権によって維持され王権は芸能によって維持されたのである》

南インド・チダムバラムのシヴァ寺院の石のレリーフ「踊るシヴァ神(ナタラージャ)」 

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インドの芸能と神をみる。
カーリユーガ(末法世界)の前、トレータユーガの時代の初め、地上の人々の生活は、欲望の渦の中にあった。須弥山を支配するインドラ神の要請で、創造神ブラフマーが瞑想し4つのヴェーダ法典と、人々の精神的向上と真の道への道標として5つめのヴェーダを創った。紀元前2~5世紀の成立とされる世界最古の芸能法典「ナーティヤ・ヴェーダ」である。
ブラフマーはこの法典を聖者バラタに教え、優雅な舞の表現を学ばせるために2人の天女を創った。こうして、神の創造した舞踊が地上に伝わった。

インドは紀元前40世紀から20世紀にかけて、ドラヴィダ人による農耕主体のインダス川流域のインダス文明が栄えた。その後、イラン・イラク高原から、遊牧民であるアーリア人がパンジャーブ地方に移住してき、紀元前10世紀頃にガンジス川流域へ移動し、ドラヴィダ人をはじめとする先住民を支配して、定住生活に入った。アーリア人は神々への賛歌であるヴェーダを重視し、司祭階級は、バラモンとして特権的な地位を得た。 このバラモンを頂点とした身分制度は、カースト制度と呼ばれ、今日に至るまで、インド社会を規定している。紀元前6世紀には、ガンジス川流域にマガダ国、コーサラ国などの16王国が栄えたが、興廃を繰り返して消えていった。
インド芸能は王家をパトロンとして栄え、王権が滅んでもその記憶を芸態に深く残した。芸能に登場する神霊は王権の守護神が高位を占め、階層性に支配されている。神々にも浄と不浄があり、上位神は菜食の供物、下位神は肉食の供物で地面に血を注いだりする。

中国の芸能と王権の関係をみる。
宮廷の楽舞をつかさどる官を楽官といった。伶官とも。楽官の制度はすでに紀元前17世紀から紀元前11世紀の商(殷)代に存在したとみられ、それ以降形態を整えていった。完成形を示す唐代では「太常寺」という国家の礼楽・祭祀を行う省に所属し、次の八つの任務を担当していた。太常寺は中央政府の事務執行機関として存在した九つの部局九寺の一つ。寺は役所が原義。
 郊社 太廟 諸陵 太楽 鼓吹 太医 太卜 廩犧(祭祀用の米と犠牲を管理する役)
太常寺は中央と地方の宗廟・神社の祭祀に加えて、医療・卜占を担当し、舞踊、音楽、供物なども任務としていた役所であり、その行事に楽官は舞踊・音楽を演じていた。この太常寺から梨園と教坊(宮殿内におかれた内教坊と外におかれた外教坊に分かれる)が音楽・舞踊専門機関として独立した。梨園は、唐代中期の玄宗皇帝が教坊よりもさらに精選した宮廷内歌舞担当機関をいうが、正式の官職ではなく、はじめ、玄宗の私的機関の性格が強かった。
楽官の伝習する楽舞を正楽とよび、正楽には四つの効用があるという(阮籍『楽論』)。
第一 楽律を正す。  第二 前王朝の音楽を訂正、復元する。  第三 楽器を継承する。  第四 民間楽舞を採集して宮廷楽舞に応用する。

以上の楽官による中国宮廷舞踊の伝習を検討して、《楽舞は国家の事業》であったことがあきらかになる。この観念は日韓にも明確にみられる。

日本の宮廷舞踊の養成機関四種である。

現在に継承された宮中御神楽( みかぐら ) 奉納の場所 宮中賢所と前庭神楽舎
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毎年12月中旬、宮中賢所で神楽が奉納される。他に伊勢神宮で、宮中から 楽師 が遣わされ 御神楽 および 秘曲 ( ひきょく ) が奉納される。勅使・神宮・祭主以下が 四丈殿 ( よじょうでん ) 内の座に着き、 庭燎 ( ていりょう ) の明りがゆれる中、深夜まで御神楽が奏される。宮中御神楽は一般公開されない。

韓国宮廷舞踊 佾舞イルム武舞(剣舞)
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国立国楽院は、大韓民国文化体育観光部傘下の国立国楽機関 国楽の継承・発展の為に1950年にソウルに開院
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芸能の誕生が憑霊型シャーマニズムにあること、王権とシャーマンの芸能(舞踊)が一体となって現世の安寧を実現しようとしたこと、はアジア全域に共通する。インドのブラフマー神芸能下賜神話、中国『礼記』の「楽は陽、礼は陰、陰陽和して万物成る」という論、は典型。
礼楽一致、祭政一致の思想に基づき、王権は各種の楽の養成機関を設置して芸能の維持に努めた。
しかし、時代が下ると変化が生じた。中国・朝鮮では、芸能は王権の補完機能となり、賓客接待、儀礼荘厳などの目的に奉仕した。現在の北朝鮮の喜び組はその残存である。
王権の群小化、拡散化が進んだインドでは芸能は民俗化、地方化したが、王権の記憶を芸態に深く残し、芸能に登場する神霊は王権の守護神が高位を占めている。
古代王権と芸能の共存形態をほぼそのままに現代にまでとどめたほとんど唯一の国が日本である。



 明治の光と影―日本の近代 (94)
 
 まとめ 日本文化の本質
 4 日本の体系宗教の女神

 平安時代までの日本仏教は僧侶の妻帯を禁じていた。奈良時代に施行された国
家の基本法「養老令」のなかの「僧尼令」に規定があって、公的にはみとめられないことであった。女人の救済については、真言宗、天台宗が重視した『法華経』の「提婆達多品」に説かれ、当時の日本仏教界にひろまっていた思想が「変成(へんじょう)男子(なんし)」論である。女性は女身のままでは往生できず、男子に変わらなければ成仏できないとする信仰である。
 このような信仰が大きく変化したのが鎌倉仏教であった。浄土宗、浄土真宗、
曹洞宗、時衆などでは、僧侶の妻帯を認め、女人往生を説くようになった。
例えば曹洞禅の道元は、その主著『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』 で、女人罪業論を否定して、「仏法に男女差別など存在しない。尼の地位は日本のような小国辺土の国王大臣など及ぶことのできないほど高く尊い」といいきっている。
 浄土宗の法然は、唐の善導の説を引用して女人往生を認め、阿弥陀を信じるなら臨終の際に「女身を転じて男子となることができ、弥陀が手をさしのべ、観音が介助して往生できる」と説き(無量寿経釈)、女性と交わる女犯の罪も否定していた(熊谷直実への消息文)。
親鸞もこの師の考えに従って、弥陀の大願によって女性は男子に変わり往生できるとしていた。
 九歳のときに天台宗の慈円のもとで出家し、比叡山で修行を続けた親鸞であったが、しかし、二十九歳、みずからの進路に迷って、山を下りた。そのまま彼は同じ天台宗系の寺、京都頂法寺の本堂六角堂に百日の参篭を試みた。九十五日目の暁に救世(くぜ)観音の化身聖徳太子の夢告をうけて法然の門に入る。この重大な夢告については、親鸞みずからが『教行真証』に書きとめ、のちに、妻の恵(え)信(しん)尼(に)の書簡にも記述されている。
 親鸞は若いときに四度の夢告体験をしている。そのうちの一回が、法然の門に参
加するきっかけとなった前述二十九歳のときの救世観音の化身聖徳太子のお告げであった。これは、親鸞の三回めにあたる夢告体験である。
 そのほかにも、親鸞は、三回にわたる夢告を体験している。
第一回は、親鸞十九歳、河内国磯長(しなが)の聖徳太子廟に三日間の参篭をした際に聖徳太子から受けたお告げであった。彼はその夢告で浄土教への回心をつよく勧められた。
   正治二年(一二〇〇)、親鸞二十八歳のときに二回めの夢告があった。比叡山の無動寺(むどうじ)のなかの大乗院で修行中の親鸞の夢中に、如意(にょい)輪(りん)観音が出現し、天台宗をはなれて浄土教に向おうとする親鸞の行動をほめたたえた。親鸞の願いと如意輪観音の願いが一致したのである。
                           つづく