最近いただいたご贈呈書です。いやな情報があふれるなかで、ご著書をお贈りいただくことは、著者のお元気なご様子が推測されて、嬉しいことです。すでに礼状をお送りした方もいらっしゃいますが、改めて篤く御礼申します。

廣田律子・瑶族文化研究所『通訊』第七号
林雅彦『法城山高圓寺蔵那智参詣曼陀羅』
島尾新・宇野瑞木・亀田和子『和漢のコードと自然表象』勉誠出版
神戸女子大学古典芸術研究センター『新作浄るり めをと山賊―食満南北遺稿集―』和泉書院
古井戸秀夫『人物叢書 鶴屋南北』吉川弘文館
小林忠 『日本の伝統文化 浮世絵』山川出版社
大橋正叔『近世演劇の享受と出版』八木書店
小峯和明監修・出口久徳編『絵画・イメージの回廊』笠間書院
鳥越文蔵・内山美樹子『義太夫節浄瑠璃未翻刻作品集成第六期』玉川大学出版部
南方熊楠研究会編『熊楠研究第14号』
学習院大学上代文学研究会『学習院大学上代文学研究第44号』
中国上海国家核心芸術標準『当代舞踊芸術研究』
学習院大学文学部『研究年報第66輯』
学習院大学大学院人文科学研究科『人文科学論集26』
国立劇場調査記録課編『歌舞伎俳優名跡便覧』



 新しく「縄文新論」の連載を開始しました。これまで、縄文考古学者、古代史研究者などの誰もふれたことのない、まったく新しい縄文文化論です。そこから、日本古代史の書き換えが始まります。

 Ⅳ 縄文人の信仰

 二 人格神  採集狩猟民(鍛冶・漁労民も含む)  女性神

 アイヌのイオマンテを例にあげる。
イオマンテの犠牲の仔熊
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 この祭りは現在は観光行事となっているが、本来は一月、二月など季節を定めて行なうアイヌの最大の祭りであった。アイヌの信仰では、神の世界にいる神々は、日常はアイヌと同じ人間の姿をしているが、人間の世界へ訪れるときは、さまざまな姿に変身、扮装する。山の神(キムンカムイ)は、熊の姿になって、その毛皮と肉を土産に持参する。採集狩猟民であるアイヌの熊猟は冬眠中の熊を対象に冬季に実施される。この時期、牝熊の巣穴にいる仔熊を捕らえて、一年または二年育てたのちに、親熊(親の神)のいる山に送り返す。そのときに酒や干鮭、団子、イナウ(木幣)などを土産に持たせる。イオマンテは、この仔熊を親の神の許へ帰す儀礼である。親の神である山の神は牝熊に化身し、子を持つことから判断して女性神と考えられる。

 東北から中部にかけての山の猟師であるマタギも熊、鹿、猪などの大型獣を捕獲したときに、アイヌのイオマンテと類似の霊送りを行なう。これらの獣を山の神の子であり、贈り物であるという共通の信仰を持っているからである。彼らが山に入るときの各種のタブーや使用する山ことばなどを総合すると、山の神は女性神であった。その女性の山の神は十二柱の子神を生んだとされ、動植物の繁殖を司るだけではなく、人間の出産の神ともされている。
東北マタギの熊送り
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 三 人格神  山地農耕民 男性神 

 山の神は山地農耕民の信仰にも見られる。宮崎県の北西部の山間地の椎葉村が伝承する椎葉神楽では、山の神が登場する。鬼の面をつけた男性神である。
同じく、宮崎県の山間部高千穂町には二十数箇所に神楽を上演し、高千穂の夜神楽の名で知られ、山の神が登場する。
高千穂の夜神楽といっても、地域によって番組名、順序、演出に大きな相違があり、同じ土地でも年によって演じる順序が異なったりする。まだ古典化せず、生きて変化する民俗芸能の面白さである。

 「山森」は、この地方が長く保持していた狩猟文化を反映する番組で、狩人が山の神の恵みで猪を獲得し、神前にささげて感謝するというのが、本来の演出であった。しかし、しだいに獅子舞に重点が移り、その獅子がそのあと門付けに出る土地もある。高千穂の夜神楽は基本的に直面(ひためん)の祝(ほう)り子(こ)( 神官)が神迎えの祈願の舞を演じ、その祈願に応えて仮面をつけた神々が降臨するという構造を持って、それを繰り返す。

 そうした構造をよく示しているのが「杉(すぎ)登(のぼり)」である。最初に直面の二人が祈願の舞を演じ、後半で鬼の面をつけた神が登場する。この鬼神は霊力の強い荒神であり、山の神である。祝子の招きで登場した鬼神。この鬼神の登場から「杉登」は「入鬼神」ともいう。杉登とは、この鬼神が杉の木を伝わって昇降すると信じられているからである。神楽に登場する鬼または鬼神は山の神であり、木もまた山の神、転じて山の神の依代でもある。鬼神が手にする採り物もまた樹木である。神楽でも江戸時代以降に形式の整った出雲系神楽などに比較して高千穂に代表される中世神楽は日本人の信仰の原型をよく保存している。

 四 人格神 平地農耕民 男性神

 山の神の信仰は平地の農耕民も持っている。農耕民社会にひろく見られる、正月に山に入って木を伐り、家の門に立てる若木迎えや門松の習俗には山の神の信仰が生きている。平地農耕民は別に祖先神と習合した田(稲)の神を信仰している。  

 田の神と山の神はどのような関係にあるのか。
はやく早川孝太郎が研究の先鞭をつけ、柳田国男が発展させた考えに田の神と山の神の交替という信仰がある。
 私は中国の来訪神儀礼を考慮して、

 ①狩猟民の山の神→②畑作農耕民の山の神=田の神→③稲作農耕民の山の神=田の神

という図式をつくりあげた(「蓑笠と杖の民俗」)。②は中国の貴州省のイ族や湖南省の土家族の来訪神儀礼を考慮に入れた。彼らは、高冷な山地に住んで、稲作への移行が十分ではなく、雑穀を主とした畑作に大きく依存して生活している。彼らのもとへ出現して、農耕の方法を伝授する神々は、山の神でありながら、祖霊としての田の神でもあるという二重の性格をそなえている。③は早川や柳田が問題とした田の神と交替する山の神である。

 この田の神と交替する山の神については、両神を別神格とする説と同一神格とする説とが存在する。

 別神格とする代表的な見解は森田悌氏にみることができる(森田悌・金田久璋共著『田の神まつりの歴史と民俗』)。森田氏は、古代社会において稲殻の豊穣を願い、感謝する祭祀として、穀物じたいである穀霊の祭りと、穀物の外にあって稲苗の生育を見まもる霊力をまつる祭祀との二種類があったことを指摘し、田の神と交替すると考えられている山の神は、稲殻そのものではなく、稲殻の外にあって稲の育成を見まもる霊力であると主張する。同様な別神説は、ネリー・ナウマンや石塚尊俊氏などにもある。

 日本の民俗で考えたときに、別神格とみるべき例は石川県のアエノコトである。
能登のアエノコト  神迎えと神送り
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 この行事では、神は田と家のあいだを去来し、家内へ迎えられたのちは、納戸や蔵のなかにおかれた種子俵に宿って冬を越している。このアエノコトで、十二月に田の神を迎えたゴテ(主人)が、迎えた田の神を馳走したのちに、料理と甘酒を持って家の裏山の地神のところにいってそなえ、また田の神を送りだす春のアエノコトでも裏山の地神に供え物をしている。十二月に田の神を家のなかに迎えたのちに、山の神に供え物をしているのであるから、両神は別神格とみなければならない。

 同一神格とみるべき例もある。淡路島のヤマドッサンである。
ヤマドッサンは、北部の山間地帯で、一月九日の夜に家ごとに祭る来訪神である。山の上の神社や森の中から出現して、蓑笠姿で里へ下りてくる稲作の神である。各家では、仏壇のおかれた表の間の壁に鍬を立てかけ蓑と笠をかぶせて迎えの祭壇とする。朝、当家の主人が、このヤマドッサンの蓑と笠を着て、みずからヤマドッサンに変身して、臼で餅つきを行なう。

 ヤマドッサンは、先の森田氏らによって指摘されるように、
  山の神  田の神  年の神
の三者が習合している。丘陵地帯の頂上から、山の神の象徴である蓑笠をつけて出現する点では山の神である。この山の神に家の主人が収穫を祈願し、みずから蓑笠姿に変身したのち、庭で餅をつき、その白い水を田植えの用水とするなどの行事は田の神の性格を表わしている。一年の初めに家の座敷の祭壇にむかえる点では年の神である。

 これらの農耕民の行事に登場する山の神も男性神である。

                      (つづく)