新しく「縄文新論」の連載を開始しました。これまで、縄文考古学者、古代史研究者、そして日本人の誰も考えたことのない、まったく新しい縄文文化論です。そこから、日本古代史の書き換えが始まります。
Ⅳ 縄文人の信仰
五 宗教の山 男性神・女性神
平安仏教とよばれる天台宗や真言宗は、拠点を比叡山や高野山において山岳仏教としての性格を強く持っている。同じように修験道も山を修行の場としている。これらの山岳宗教では、釈迦、大日如来、蔵王権現、熊野権現など、性別を超えた絶対神を信仰している。これらの宗教では山の神はその支配下にあり、多くは男性神である。にもかかわらず、たとえば天台宗における比叡山千日回峰行、修験道における胎内くぐりなど、山じたいを母胎とみなし、そこに篭り、新生することによって、永遠の生命を獲得しようとする修行法を伝えている。そこには擬人化される以前の自然信仰でありながら、山を女性とみなす観念が保存されている。
修験道の擬死再生修行、筑波山の胎内潜り

神道では、富士浅間神社に代表されるように、大山祇命と木花咲耶姫命の父娘の男女神が支配するとしている。
このようにみてくると、生業と環境だけで日本の山の神の性別を区別することはむずかしく、また宗教でも截然とした見分けはできない。
しかし、全体として女神とみなす観念が男神とみなす観念より古いと推測され、採集狩猟を主要な生業としていた縄文人の信仰する神々の中枢を占めていたのは大地の女神であったと考えられるのである。
5 山の神の性別を分ける原理
一般に、山の神の性別はどのようにして決まるのか。山の神の性別を決める重要な原理として次の三種を挙げることができる。
一 生殖信仰
女性生殖から女性神とみなし、男性生殖から男性神とみなすものである。
二 天と地
山は地の盛り上がったものであり地母神が支配する場所とみなす一方で、天への
通路であって天父神が支配するとみなすものである。
三 生業と環境
すでに検討したところである。
この三種のうち、日本の場合、もっとも有力な原理は「一の生殖信仰」である。
山自体が神であり、山の中に入り込むことによって、自分たちがそこで生まれ変わるのだという信仰を日本人はずっと持ち続けてきた。山の神は日本人の場合、多くは女の神である。その信仰が日本人の山岳仏教、修験道の山での修行として表れている。比叡山の千日回峰はその代表例である。
同じような考え方は、修験道にもある。修験道は、それ以前の山岳仏教を取り込み、さらに中国の道教も入り込んできて、複雑な宗教体系となっているが、基本は山での修行である。例えば吉野の大峰山などの山をまわって歩いて、崖の上から吊され、狭い洞窟の中を通り抜け、滝に打たれるなど、山を修行の場として、自分たちの俗性を払い捨て、新しく山の霊気を帯びた修行者として生まれ変わる。
この修験道の修行法が一般若者の成人式の儀礼に利用されている。
たとえば福島県の東和町の「羽山(はやま)籠もり」がそれである。

成人になった若者を山へ連れて行く。山へ登るというのはそれ自体が厳しい課題であり、さらにこの儀礼では、大人たちがその前後を囲んで、若者を無理やりにせき立てて山へ登らせる。山の頂上には、必ず洞窟があり、その洞窟の中を、若者を通過させる。洞窟を通過することによって若者は、母の胎内に入り込み、そして生まれ変わる。
こうした成人式は東北地方にひろく行なわれている。
他方、山の神は男性生殖信仰から男性と見られる例も多い。
縄文時代の遺跡のなかで、すでにみたように、環状列石、環状土籬、ストーンサークルなどとよばれ、空間を、石を敷きならべたり土手を築いたりして、まるく区画したものがある。北海道千歳市のキウス遺跡、秋田県の大湯遺跡などをはじめとして、北海道、東北から関東、中部、近畿、中国、四国地方にまで分布しており、竪穴住居のなかに設けられた小さな規模の石囲いの例も各地にみられる。この空間は墓地の場合とある種の祭りの場として使用された場合の両例があり、両者をかねる遺構も多い。
北海道のキウス遺跡は円形の大型竪穴を掘り、土を周辺に積みあげて環状に土手を築いている。そのなかに個々の墓穴が掘られている。墓のなかからは人骨のほかに赤色顔料、石棒・弓などが発見され、縄文後期の集団墓地であることがあきらかである。
大湯遺跡は野中堂および万座のほぼ東西にならぶ二つの環状列石が中心をしめる。いずれも内帯、外帯の二重の組石からなり、前者で四十四基、後者で四十八基の組石遺構が確認されている。外側組石の直径の大きさは野中堂で四十二メートル、万座で四十六メートルに達する。大湯遺跡の性格については墓地説、祭祀遺跡説が対立していたが、水野正好( 「環状組石墓群の意味するもの」)、林謙作(「大湯環状列石の配石墓1・2」)らの研究をへて、最近では墓地があわせて祭りの場としても使用されたという説におちついている。
このような遺跡からは石柱や石棒が発見されることが多い。この柱や棒について、水野正好氏は前掲論文のほか、「縄文式文化期における集落構造と宗教構造」などで、縄文時代に行なわれた男性の祭りの存在を推定している。
氏によると、墓にたてられた石柱はたんに墓標の役割にかぎられず、祖霊のよりつく依代としての意味が付加されていたという。住居内の石壇に設けられた石柱は、家族という近親者のあいだで共通する祖霊の依代であり、環状集落の中央広場などに設けられた配石遺構のそれは、集落の全構成員に関わるものであると氏は推定している。
同じように水野氏は石棒にも依代という考えを適用している。
石棒は一端あるいは両端が男根状に整形されたものと、円棒のままのものとが出土している。石棒は縄文時代前期の東日本に出現し中期以降に発達をとげている。中期には大型のものが多く最大のものでは二・五メートルに達する。後期になると小型になり、全体をていねいにみがき、頭部には彫刻をほどこした精巧な造りのものがみられるようになった。そして後期終末から晩期にかけて頭部の表現が抽象化され、断面が扁平化して、石刀や石剣へと変化してゆく( 山本暉久「石棒祭祀の変遷」)。
石棒は多くの場合に男性器そのものを表現しているところから、水野氏は男性神の依代としての意味が付与されているとする。そこでは男性中心の祭りが行なわれた。生殖行為にはじまり、成年式をへた男の世界への仲間入り、狩猟や漁労といった男性の生活にかかわる生業活動が考えられている。
石柱や石棒は三段階の変化をとげていた。はじめ巨大な柱や棒そのものであり、のちにやや小型化し、最後は剣や刀へ変化したという。この変化は、
柱や樹木に対する信仰→男性性器に対する信仰→武器への信仰
というように段階を追って推移したとみるよりも、柱信仰、男性器信仰、武器信仰の三種が樹木信仰に習合し、そのそれぞれが共存しながら、時代を異にして優勢と衰退をくりかえしたとみるべきであろう。このように考える最大の理由は三種の信仰がそのままに後世にうけつがれ、今日にまで生きているからである。代表的な現代の祭りを一つずつあげておこう。
樹木信仰 長野県諏訪の御柱祭り
男性器信仰 新潟県栃尾市のほだれ大明神祭礼
武器信仰 京都府伊根町新井崎神社の太刀振りと花踊り
男性器信仰は石柱や石棒の信仰と融合している例が多く、多くの場合に一端あるいは両端が男根状に整形されていた。それらは山の神でもあったとみてよい。
男性器に対する信仰は弥生時代以降もさまざまな現われ方をして現代につづいている。日本の祭りにしばしば重要な役割をしめて登場してくる柱や杖は男性器に対する信仰と樹木に対する信仰が結びついたものとみてよいし、『古事記』や『日本書紀』に記載のあるさえの神にも男性器をかたどったものが多くみられる。さえの神は「障への神」の意味で、峠・村境・辻などにたてられて邪悪なものの侵入をふせぐ役割をはたす道祖神である。
男性器をご神体とあがめる祭りが日本の各地にある。
福岡県黒木町霊岩寺
境内の裏山に高さ四メートルから六十メートルまでの男根の岩が無数に点在する。岩が長い年月をかけて風化して石柱になったものであり、なかには男性器の形をしたものも多く、男岩とか珍宝岩とかよばれている。子授け、夫婦和合、精力増進の 神といわれる。
愛知県小牧市田県(たがた)神社
三月十五日の豊年祭りには巨大な男性シンボルが神輿にかつがれて二キロの道を田県神社にわたる。
新潟県栃尾市ほだれ大明神
一時期とだえていた道祖神の祭りを昭和五十四年( 一九七九)に村起こしの行事として復活させた。毎年三月中旬の祭礼の日に青年団が中心になって、お堂から長さ二メートル、重さ五百キロの巨大な男根をかつぎだし、新婚の妻を数人乗せて村をかつぎあるく。このご神体に乗ると子宝に恵まれるという。
神奈川県川崎市金山神社
川崎大師駅まえの若宮八幡宮の境内にある。もともとは鍛冶屋が使ったふいごを祭った神社であったが、性信仰と結びつき、男根のご神体をまつる。四月の第二日曜の祭礼の日にはピンクの男根神輿が練り歩き、外国人までが参加するユニークな祭りとして知られる。子授け、安産、縁結びなどの利益があるという。
千葉県栄町魂生(こんせい)大明神
境内には黒色のカナダ石でつくられた高さ二・五メートルに達する巨大な男性器のご神体が祭られている。その周辺には願いがかなって奉納された石製の小さな男根が無数にかざられている。祭礼は毎年十二月の月遅れの酉の市に行なわれ、石のご神体の分身である木製の男性器が山車に載せられて町内をまわる。縁結び、子授け、安産の神と伝える。
岩手県花巻市大沢温泉金勢(こんせい)神社
毎年四月二十九日に男性器のご神体が山を降り、神輿として村を練り歩いたのち、露天風呂にかつぎこまれる。そこで地元の女性たちがご神体を洗い清める御入浴の式がある。このご神体に女性がまたがると子授けの利益があるといわれる。ほかに縁結び、安産、下の病気の願が叶うという。
静岡県東伊豆町どんつく神社
六月二、三日に大きな男性器の神輿を観光客がかつぎ、小さな同形の神輿を地元の芸者やコンパニオンがかついで温泉町を行進する。江戸時代に赤痢が流行し、これを払うために男根を持って各家々をまわったのが起源だという。ご神体に触れると良縁、参拝すると子授けや家内安全、無病息災の利益があるという。
岩手県遠野市山崎金(こん)精(せい)様
石造りの高さ一・五メートルほどの巨大な男根で、毎年五月には祭りが行なわれる。子供たちのかつぐ小型の神輿も出て、生殖信仰の対象になっている。遠野市にはこの種の金精様が数多く祭られている
(つづく)