思い出の一枚

 以前、このホームペ^ジに「アジア調査の記憶」という写真シリーズを連載していましたが、容量の都合で中止しました。長年のアジア調査で収集した写真資料はまだ多くありますので、今後、断続して、場所、人物など、いまも、思い出にのこる一枚を選んで掲載します。
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 2005年8月17日、中国湖南省長沙を訪問したときの一枚です。私と腕を組んでいる方はトン族民俗学者の林河氏です。幾度も中国調査でご一緒し、日本にもお招きし、九州山鹿灯篭祭りなどを調査して回りました。研究上でも多くの恩恵を受けた方です。
 
 姉妹の霊力が兄弟を助けるというオナリ神信仰の起源地が社会人類学者の馬淵東一氏、鍵谷明子氏らの調査によって東南アジアが有力視されていたときに、林河氏が紹介されたトン族の信仰は、中国大陸南部を起源地と考えていた私には大きな援軍になりました。林河さんはいいます。
 日本のオナリ姉妹神は古黔(こきん)の風俗に似ている。古黔の革(かく)家人(かじん)も姉妹の頭髪を布の小袋に入れてお守りにしている。そのお守りが凝っていて、まず姉妹の頭髪を袋に入れて太陽と月を作り、それらを鳥形の布袋に入れて太陽鳥を作る。言葉の面でも日本語の「オナリ」は古黔の古語に近似している。古黔古語では「オ」は「発語詞」、「ナ」は鳥、「リ」は太陽を意味し、「オナリ」は「太陽鳥神」の意味になる。ここからも、日本の本土、奄美、沖縄、南部諸島と中国古黔との関連性が示される。( 「トン族からみる日本の倭文化」)
  


縄文新論(23) 
                 
 新しく「縄文新論」の連載を開始しました。これまで、縄文考古学者、古代史研究者、そして日本人の誰も考えたことのない、まったく新しい縄文文化論です。そこから、日本古代史の書き換えが始まります。

Ⅳ 縄文人の信仰

 5 山の神の性別を分ける原理

 これらの祭りの起源がすべて縄文時代にまでさかのぼることができるというのではない。それぞれの祭りはせいぜい江戸時代くらいまでにしかさかのぼれないものも多い。しかし、男性器に対する信仰の深層の精神は確実に縄文時代、あるいはもっと古い時代にまでつながっている。史実だけをつないでも信仰や芸能の歴史は構築できない。史実とそれを支える深層の精神と、その双方の統合のなかに真実がみえてくる。

 現代の男性器の祭りはすべて性の利益と結合している。子授け、縁結び、安産、夫婦和合、精力増進などである。家内安全、無事息災などはさらにそこから発展したものである。こうした密接に関わりのある利益を持つ男性器の祭の性器はそれじたいが神であったと考えることができる。その理由は次の二点にまとめられる。 

 第一に、神の機能の単一性ということ。種々のご利益が男性器の持つ機能の範囲のなかにおさまってそこから大きく逸脱していない。神が本来の「もの」から遊離して自由に多様な依代に宿るようになると、神のご利益も多様化する現象が一般的にはみられる。

 第二に、依代の単一性ということ。もし男性器が依代だとすると、ふつう祭りにはほかの種類の依代、榊や御幣なども登場するはずなのに、ただ一種の男性器しか登場しないのは、この神が男性器そのものであることを示している。

 山の性別を分ける理由の「二 天と地」について検討する。世界の中心としての世界山は海外では天に通じる山として男神が支配している。
ヒンドゥー文化のメール山、仏教の須弥山(しゅみせん)、イラン人のハラベレザイティ、道教の崑崙山や五岳(泰山他)、ギリシアのオリンポスなどである。

 日本と中国に限って世界山の支配神の性別を類型化してみる。全体として以下の三型に区分できる。

 A型 女性神 
 大宗教の支配神の統率下に組み込まれ女性神の本質も変化した。その代表例は西王母である。中国崑崙山は女性神の西王母が支配する山である。西王母は本来大地母神であったが( 森雅子『西王母の原像―比較神話学試論』)、神話的女神(『山海経』などに人面獣神として登場)を経て神仙的女神(『穆天子伝』など)へと変化した。山を支配する大地母神が道教信仰に取り込まれ天帝の統率下に秩序づけられた。

 B型 男性神
 大宗教支配下に男性神化した。代表例は中国五岳の神々である。 
  
山岳名・神名 唐代神名  宋代神名
東岳泰山君神  天斉王  天聖仁聖帝
西岳崋山君神  金天王  金天順聖帝
南岳衡山君神  司天王  司天昭聖帝
北岳恒山君神  安天王  安天元聖帝
中岳嵩山君神  中天王  中天崇聖帝

 C型 日本の世界山  女性神
 大宗教や王権神話に組み込まれても女性神の本質をそのまま保存し、男性神と融合させている。代表例は、王権神話に組み込まれた高千穂峰である。天孫降臨の高千穂峰は世界山であるが、天界は女神アマテラスが最高司令神で、男神タカミムスヒはその依代とみることができる。天は男性神が支配するという信仰は日本では普遍的ではない。高千穂峰の山神は男性神とは断定できず天之逆鉾の貫いた女性神の可能性がある。

 また以下のような山々は仏教や修験道の管理下でも女性神の観念が生きている。

 修験道 出羽三山 吉野 熊野 九州英彦山
 仏教  比叡山 高野山 山陰大山

 しかし、日本にもB型の男性神とみるべき例もある。山王神道は、比叡山延暦寺の鎮守社日吉(山王)社の信仰をとりこんで展開された神道運動である。日吉社がまつる大山咋(おおやまくいの)神(かみ)は、『古事記』にも記載のある古い山岳信仰の神であった。平安時代の始めに最澄が比叡山に入山して延暦寺を創建し、土地の神であった日吉社を天台宗の護法の神とした。これは中国の天台山に祭られている山王祠にならったもので、山王は霊山を守護する神をいう。神仏習合化がすすみ、平安時代中期に山王七社が成立すると、すべての神々に本体の仏(本地仏)が配当され、天台教学にもとづいた理論が整備され、山王の神は釈迦の変化した神(垂迹)とされ、さらに天照大神をもとりこんだ神道運動に展開した。

 これまでの検討の結果、日本人の山の神は大きく五種に区分される。

一 女性生殖信仰により山の神は女性(狩猟民などが山の神を女神とみなす)
二 男性生殖信仰により山の神は男性(男性生殖器に形態の似る岩・樹木などを山の神とみなす)
三 単性生殖は不可能という合理思考による夫婦神(山の神を夫婦神・男女神とみなす)
四 大地の盛り上がりで女神(平地農耕民にとっての里山など)
五 天への通路で男神(大宗教や王権管理下の山)

 このうち、三は比較的後期の山岳観であり、五はほとんどの場合一と共存している。この結果、日本人にとっての天父地母観については次のように結論づけることができる。

 遊牧民族ではない日本人社会にも天父の観念は海外から宗教・信仰を始めとする各種の文化とともに絶えず流入していたが、日本で変質するか、地母と融合していた。
縄文時代の日本人の神信仰は、大地を女神として信仰する地母信仰が中心であり、男性生殖信仰によって、男神信仰も存在したが、大地の盛り上がりであって、いわば地父ともよぶべきもので、天の男性神としての天父信仰ではなかった。

 6 縄文人の信仰のまとめ

 これまで日本人の信仰について多岐にわたってのべてきた。ねらいは、日本人の信仰から、外来の天の信仰や文明宗教を除いて、原信仰としての縄文人の神信仰についてあきらかにすることであった。

 日本へは国家形成の段階で中国文化がどっと入ってきた。その中国文化は、北の黄河流域の大帝国の文化であった。隋・唐・宋などである。その結果、日本人のなかにも天の神の信仰、男の神の信仰が入ってきて、大地は天の神の恵みによってうるおい、山は天へ通じる道であるという観念も生まれた。

 しかし、日本人は原信仰としての大地の女神への信仰をうしなうことなく大切に保存した。

 中国でも朝鮮でも、星の神は多種多様に存在する。北極星を始めとして、あらゆる星が全部神々である。その信仰もさまざまなルートで日本へ入ってきた。人間の運命を司る神としての北斗七星、そのほかの星座、二十八宿を始め、多様な星座群が全部中国では古代の神々であり、道教や仏教の神になっていて、日本へも入ってきた。

 しかし、本来の日本神話に星の神は存在しない。高天原という天の信仰が日本に入ってきた。しかし、日本の古代神話に星の神は出てこない。日本文化の原型はそんなところにも現われている。

 奈良県の大神(おおみわ)神社、諏訪の御柱祭りなどは典型的な日本人の山岳信仰である。山にしても樹木にしても、最初の段階ではすべてそれ自体が霊魂を持ち、神である。いわゆる自然神といわれる段階である。次の段階として神々が擬人化される。人間と同じように感情も思考力もあると想定される。これがいわゆる人格神の段階である。
 
 自然神から人格神へという変化と並行して、神々には、動かない神から動く神へという変化が起こる。霊魂の段階では、自由霊は動いたが身体霊が動くことはなかった。動く神は自由霊と身体霊が一体となって動くのである。その場所または物に常在して動くことのなかった神が、自由に動きまわる時代がくる。その段階で、神がそれまで止まっていた場所や物は神が一時的に止まる依代となる。

 諏訪の御柱祭りで山から伐りおろされる樹木は神が動かない段階では神そのものであったが、神が動き回るようになると、神の依代、乗り物とみなされる。「4 日本の山の神」でのべたように、木遣り歌の分析によって、山の樹木がすでに依代と観念されていることはあきらかである。

 日本人について、ドイツ人医師ベルツが明治四十四年、身体的特徴からアイヌと琉球は同系統と指摘した。平成三年に、人類学者の埴原和郎は「日本人二重構造説」を提唱し、本州などでは弥生時代以降に中国や朝鮮半島からの渡来人と先住民の縄文人が混血したが、アイヌや琉球は遠いため混血が少なく、縄文型の系統がのこったとした。

 さらに、日本人の遺伝的な系統もアイヌ( 北海道)と琉球( 沖縄県)が縄文人タイプで、本州・四国・九州は縄文人と弥生系渡来人との混血とみられることが、東京大学などのゲノム( 全遺伝情報)解析で分かった。ベルツや埴原の「アイヌ沖縄同系説」を裏付ける成果で、平成二十四年十一月一日付の日本人類遺伝学会誌電子版に論文が掲載された。

 これを文化の問題と結びつけると、アイヌや、琉球列島が保存した、採集狩猟系の文化が、縄文文化を表現しているということである。

 採集狩猟は農耕よりも一段階古い生業である。日本では採集狩猟で生活している人たちはほとんどいなくなった。東北のマタギは長く山で狩猟をやっていた人たちであったが、いまは一定期間だけ狩猟をやって、あとはいろいろな職について生活している。

 宮崎県の山奥西都市で銀(しろ)鏡(み)神楽(かぐら)という祭りを維持している人たちも、祭りになると、いまでもイノシシの首を捕ってきて、神前に飾る狩猟民の生活をのこしているが、彼らの日常は農民である。

 採集狩猟民として知られているのはアイヌ人である。彼らが行なうイヨマンテは完全な採集狩猟民の祭りである。この祭りで犠牲にされる仔熊は、山にいる親の神の子どもと考えられている。熊じたいが神である。その子神を親の神が人間世界に贈り物として送ってくださる。人間は、仔熊を殺害して、みやげの肉を煮て食べ、毛皮をもらう。そして肉体にやどった霊魂=神だけを山へ、いろいろな儀礼を行なってもてなしをしたのちに送り返す。

 東北のマタギの名称の由来となった「マタグ」は、アイヌ語で猟をすることだと柳田国男が言っている。

 この人たちも「熊送り」という、アイヌのイヨマンテとよく似た祭りをしている。山で熊が捕れると、すぐその場で殺害・解体し、小さな魂送りの祭りする。アイヌのイヨマンテが季節を決めて、集落全員が参加する大きな規模の祭りをするのに対し、小さな規模の祭りを、熊を捕獲するたびに行なう。熊のなかに籠もっていた霊魂を、山の神のもとに帰してやるという精神はまったく同じである。

 宮崎県の銀鏡神楽。昔はいろいろな動物が捕れたのだが、いまは主としてイノシシ。そのイノシシを、猟の期間捕ってきて、お祭りのときにその首だけを祭壇に並べる。そして祭りを行なって、そこに籠もった霊魂を山の神のもとに送り返す。こういう祭りでは首は非常に大事である。アイヌのイヨマンテでも、ほかの肉はみんな食べてしまうが、首だけは窓のところに山に向けて飾っておく。銀鏡神楽でも、イノシシの首だけを並べるのは、首に霊魂が宿るという考え方があるからである。

 首に一番大事な神が宿るのである。

宮崎県西都市 銀鏡神楽 十二月 神前の猪の首
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             (つづく)