思い出の一枚
70131

 1998年の9月1日(火曜日)午前10時成田発香港経由のキャセー航空でベトナム・ハノイへ。ボアービンホテルに泊まる。ホテル代は一泊一人50アメリカドル。接待単位は国立ベトナム社会科学センターの民族研究所。所長は呉徳盛(NGO DUC THINA)さん。氏との関係は1995年8月に中国広西チワン族自治区芸術研究所と協同で実施したベトナム調査のときにはじまる。日本へも何度かご招待した。
 
   9月2日(水曜日)午後。車で越南河内安腐12号の安寿廟を訪問した。ここで演じられた母道とよばれるシャーマン儀礼を見学。シャーマン儀礼といっても、民間巫女が演じるのではなく、ほとんどは富裕な女性が種々の祈願のために全費用を負担してみずから演じる。別名を聖母道、跳神ともいう。中国で跳神とよばれる儀礼は、仮面の巫による悪霊排除の舞踊で、チベットのラサのフダラ宮で毎年12月下旬に演じられるチベット仏教の跳神節は有名である。ただ、中国でも清代に病人祈願のためなどに良家の若い女性が演じたといわれ、ベトナムの母道はその伝統をうけている。

 母道は主役が神前で多様な役柄を演じわける。女性はもちろん、男性にも扮する。そのために各種の小道具、武具の類がおいてある。変身は布のなかで介添えが手伝って行われる。神前にかさねて用意された幾通りもの衣装を着替え、依りつくものの種類と性格を踊りと演技で表現する。それにつれて男性たちの演奏する音楽も変化する。一つの役が終わるとタバコを吸ってトランスを表現して変身する。シャーマンがタバコを吸う例は中国の長江流域によく見ることができる。

 シャーマニズムの神がかりから芸能、演劇が生まれたという説は動かしがたい。日本で実証はむずかしいが、東アジア諸国ではその真実性を断定できる。このベトナムの母道は、祭りから芸能への過渡期にある祭祀芸能の生きた見本である。母道はベトナムの祖先神了幸母神を信仰する巫女集団をさしたが、のちに芸能化した。神前で衣装も着替え、歴史上の人物、老若男女の各種の役を、つぎからつぎへと演じてゆく。その演技と舞踊は洗練されていて、人気のスターには追っかけもつく。複数の女性が出演し、休憩時間には菓子も場内に配られる。



伊勢・出雲・三輪
ー三社の神話に探る日本国家誕生の秘密ー(1)
はじめに
 日本国家は、いつ、どのようにして成立し、そして現在にまで永続したのか。
 独立国家にとってはもっとも重要なこの問題が、じつはまだ十分に解明されてはいないのである。たしかに、これまで多くの日本史の研究者によって、多様な説が提出されてきた。しかし、まだ定説として、国民全員に納得して受け入れられるような説は提示されていないのである。ことに日本国家の誕生については濃い靄(もや)のなかにある。
一例として、『日本歴史大辞典』(小学館)の「日本」の項目から引用する。

  日本列島における政治的社会的関係の進展は、同じ時期に出現した地域国家(王国)や有力首長間の競合・統合の過程に求められる。とくに、六世紀後半から急速にそれが進んだ結果、ヤマト王国を中心とする専制的統一体制=国家が七世紀末に成立した。この古代国家は国号を日本とし、前期・後期の封建国家から、近代天皇制を軸とする官僚制と常備軍を備えた国民国家へと展開した。

 辞典の解説としては、ぎりぎりの限界というべきであろう。日本国家の成立について、時空と固有名詞を限定した記述を提示することは不可能だったのである。その最大の困難は、神話と歴史の関係にある。

 「日本書紀」の崇神天皇紀四年に次のような記事がある。

 詔して「そもそも我が皇祖のすべての天皇が、皇位を継承して政事を行なってきたのは、ただ一身のためではない。思うに人と神とを統御し、天下を治めるためである。」と仰せられた。

 この記事から読み取れる内容は複雑である。「日本書紀」は「古事記」と並んで、日本を代表する古代史である。しかし、右の記事をどのように読めばよいのか。

 天皇による天下の統治は人と神の統御が必要である、という。統治即ち政治や軍事は人間を支配するだけではなく、神の支配も必要であるという。近代的な歴史理解では説明できない内容である。日本国家の誕生の歴史をかんたんに決定できないのはこの事実とふかく関わっている。

 日本の神話と古代史のあいだに根本的な区別はない。平安時代の官製の戸籍書『新撰姓氏録(しょうじろく)』では、登録された氏族千百八十二氏を、皇別・神別・諸蕃・雑姓の四種に大別している。皇別は天皇家につながる人たち、神別は天皇家以外の神々の子孫、諸蕃は渡来した外国人である。このうち、皇別・神別合わせて七百三十九氏、六十三パーセントまでが神の子孫に分類されていた。ほかは渡来人か祖先不明の人たちである。この神人連続の思想は江戸時代まで連綿として生きつづけ、民俗社会では現代にまで保存されている。

江戸時代に刊行された版本の『新撰姓氏録』
70132

 神と人は連続して、その間に根本の区別はなかった。この思想が日本人を支配してきた根源の信仰である。

 自然神、人格神など多種多様な神々を信仰するアジアの多神系の信仰では、多くの神々が各所に散在している。信仰する人びとにとっては、本来、それらの神々のあいだに序列はなく、すべて平等に価値と意味を持っていた。信仰者たちは、自分からそれぞれの神のしずまる場所におもむいて参拝する。その結果、世界のあらゆる神的存在がそれぞれの価値を持って、それぞれの場所におさまっている。日本人の信仰はその代表例である。私はこれを多神信仰とよぶ。人為的宗教ではなく自然な信仰である。
 
 アジア、ことに東アジアのアニミズムの神々に大小の区別が生まれるのは、道教、仏教などによって、神々が体系づけられ、神々の神殿、パンテオンが構築されてからであった。合わせて、その段階で、教祖、教典典、信者集団が決まり、自然「信仰」は人為的「宗教」となる。その際も、神々が一種に統合されることはなかった。中国や朝鮮の信仰形態である。私はこれを一神教的多神信仰とよぶ。宗教と信仰の混交である。
 
 神と人が連続するという日本人の支配的信仰は、この多神信仰の一環である。
 人だけではなく、神と人を統治したときに国家が誕生する。そのような視点を持って、日本国家の誕生の秘密を解明し、そしてその信仰がその後の日本歴史にどのように働きかけたのか、を考える。

Ⅰ 邪馬台国・卑弥呼とオナリ神信仰

1 邪馬台国・卑弥呼 
 日本国家の誕生を解く鍵は当時の中国大陸との関係のなかにある。もっとも有力な鍵の一つは中国の歴史書である。

 倭人は帯方の東南大海の中にあり。山島に依りて、国邑をなす。旧百余国漢の時、朝見する者あり。今使訳通ずる所三十国。郡より、倭に至るには、海岸に循って水行し、韓国をへて、あるいは南し東し、その北岸狗邪韓国に至る七千余里。
  
 日本国の原型であった邪馬台国の卑弥呼は、中国で三世紀ごろに編纂された歴史書『三国志』のなかの『魏志倭人伝』の上掲の記事による。
『魏志倭人伝』本文 参照、水野祐『評釈魏志倭人伝』雄山閣、一九八七年
70133
70134
  
 卑弥呼については同書は次のように伝えている。
 倭国はもと男子を王として、七、八十年経たが、乱れて互いに攻防を繰り返していた。そこで、共に一人の女子を立てて王とした。その女子を卑弥呼とよんだ。卑弥呼は鬼道に仕えて衆人を惑わし、年齢はかなり加えたが、夫はなく、一人の弟がいた。
 姉を助けて国を治めた。卑弥呼が王となってからは卑弥呼を見たものは少なく、侍女千人が奉仕した。ただ男性が一人いて飲食を世話し、卑弥呼の言葉を伝えて居室に出入りした。宮殿は高楼と城柵を厳かに設け、兵士が常に守護した。
 
 この文の伝える史実については多種多様な議論があり、なかには邪馬台国の存在自体を疑う説すらある。          (つづく)